画像はスポーツナビより引用
今回は、オリックスに所属している宮城大弥選手について紹介していきます。
2020年に初勝利をあげてから、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍を続ける宮城大弥選手ですが、そんな宮城大弥選手の彼女について調べてみました。
またその他にも貧乏だったという過去や、家族の情報についても書いていきます。
目次
宮城大弥(オリックス)のプロフィール
先ずは宮城大弥選手のプロフィールから紹介させていただきます。
名前 | 宮城大弥(みやぎひろや) |
出身地 | 沖縄県宜野湾市 |
生年月日 | 2001年8月25日 |
身長 | 171㎝ |
体重 | 80㎏ |
血液型 | A型 |
ポジション | 投手(左投げ左打ち) |
背番号 | 13 |
プロ入り | 2019年 ドラフト1位 |
経歴 | 興南高等学校 オリックス・バファローズ (2020 – ) |
宮城大弥選手は高校時代から活躍しており、甲子園には1・2年の夏に出場しています。
高校3年の夏は沖縄大会決勝まで進むも、沖縄尚学の前に涙を呑む結果になり、甲子園出場は叶いませんでした。
しかしながら沖縄大会では優れた成績を残しており、2019年にはU18代表に選出され活躍しています。
あのダルビッシュ選手も宮城大弥選手を高校時代から評価しており、宮城大弥選手のようなピッチャーになりたかったと言っていました。
ダルビッシュが憧れるって凄いですよね。
同じくオリックス所属の山岡泰輔選手についても、ダルビッシュ選手は以前から評価しており、事実山岡泰輔選手はプロで大活躍しています。
山岡泰輔選手についてはこちらの記事をお読みください。
2019年のドラフトでは、オリックスに1位指名され入団。
プロ入り1年目の2020年は2軍で最多勝に輝き、その年の11月6日の日本ハム戦でプロ初勝利をあげています。
2年目の2021年は、開幕2戦目に先発し見事勝利をおさめました。
宮城大弥(オリックス)に彼女はいるの?
続いては、宮城大弥選手に彼女がいるのか調べてみましたが、彼女についての情報は出てきませんでした。
高校時代の情報についても調べてみましたが、こちらもこれといった情報はありませんでした。
宮城大弥選手が通っていた興南高等学校の野球部は、恋愛禁止といったことは書かれていません。
しかしながら女子マネージャーはおらず、練習も忙しいようですので出会いはなく、彼女を作っている余裕もなさそうですね。
女子高生号泣事件
彼女についての情報は残念ながらありませんでしたが、面白い記事を見つけたので紹介させていただきます。
なんでも、宮城大弥選手が女子高生を号泣させてしまったとか。
地元交流イベントとして、宮崎県日章学園にてパンケーキを作ることになったのですが、一緒に参加した女子高生の中にオリックスのファンの子がいました。
その女子高生に宮城大弥選手がパンケーキを食べさせてあげると、感動のあまり思わず号泣してしまったとのこと。
女子高生のこの反応に、宮城大弥選手はとても喜んでいたようです。
これに宮城は「ファンが喜んでくれるのはすごくうれしい。対応をしっかりして、ずっとファンのままでいてほしい。(号泣ファンは)初めての体験だった。あれだけ熱意を持ってくれていてうれしかった」と表情を緩めた。
引用元・日刊スポーツ
宮城大弥選手も女子高生に食べさせてもらっていたので、うらやましいですね。
宮城大弥(オリックス)の貧乏伝説や家族について
最後に宮城大弥選手の貧乏伝説や家族について紹介させていただきます。
宮城大弥選手は10人家族?
先ずは宮城大弥選手の家族の情報についてですが、ネット上には10人家族といった情報が出回っていますが、明確なソースはありませんでした。
Yahoo!ニュースの日刊ゲンダイの記事には、
宮城が小学3年から高校で寮に入るまで、父、母、妹と家族4人、6畳一間で暮らしていた。
日刊ゲンダイ
このように書かれていましたので、どちらが正しい情報かわかりません。
ドラフトの時は父母と妹が一緒にテレビに映っていたので、4人家族の可能性は高そうですよね。
妹が可愛いと話題に
テレビに一緒に映っていた妹さんですが、とても可愛いとネット上で話題となっていましたので紹介させていただきます。
最後の投稿の後ろに映っているのが宮城大弥選手の妹ですが、少し見にくいですね。
宮城大弥選手の貧乏伝説とは?
ネットで宮城大弥選手について調べてみると、いくつかの貧乏伝説が出てきました。
というのも宮城大弥選手の家庭は貧しかったようで、父親が交通事故の後遺症で定職に就くことができず、貧しい生活を強いられていたようです。
具なしのカレーで1週間過ごしたり、先ほど日刊ゲンダイの記事にて紹介した通り、6畳一間に4人で暮らしていたこともありました。
また、宮城大弥選手は4歳の時に野球を始めました。
小学生になって初めてグローブを手にするのですが、初めて手にしたグローブは700円のビニール製のものだったとのこと。
ビニール製だったのでグローブが硬く、それを見かねた父親が電子レンジでグローブを温めると、熱で溶けてしまったというエピソードもあります。
練習着も持っていなかったので、試合用のユニフォームを着て練習していました。
そのせいでユニフォームはボロボロになってしまい、何度も縫い直して使用していたようです。
この他にも電気ガス水道が止まったりと、かなり苦しい生活を送っていました。
このような事情があったので、家族の皆さんは今の宮城大弥選手の活躍が誰よりもうれしいと思います。
まとめ
ここまで宮城大弥選手の彼女や家族の情報について書いてきました。
ご家族のためにも、1日でも長くプロとして活躍していただきたいと思ます。
これからの益々の活躍に期待したいですね。